中国と日本の領土争い 「まるで100年前みたい」(フランクフルター・アルゲマイネ紙電子版 2012年9月23日 ペーター・シュトゥルム

 ヘルムート・シュミット氏(元ドイツ首相、社会民主党出身、現在ではリベラル派のご意見番として活躍)は、誰かが西洋で中国を批判することを好まない。注目すべきは彼のその理由づけである。中国がしていることは、何といっても、大英帝国やその他の列強が100年前にしてきたことばかりではないかというのだ。しかしわれわれはそうこうするうちに、大英帝国やその他の列強が100年前にしたことは帝国主義であって、したがって悪いことだったということを学んだ。だからといってなぜ、もちろんシュミット氏の中国の行動に対する評価が正しいと前提しての話であるが、中国を批判することは許されないということになるのだろうか?

 現在では中国は西洋でさかんに批判にさらされている。中国は、日本と、そして他のアジアの諸国とも島々と領海に関する争いでもめている。日本との論争ではとりわけ調子を高くしている。中国は、隣国日本に経済戦争の脅しをかけ、日本はそれを我慢できるか、それを望むのかという問いを突きつけている。

 この紛争はどうしても解決されなくてはならない。しかしそれは、両陣営にそれに対する用意ができていることを前提する。両国からそれぞれの言い分を聴くことはあまり役に立たないだろう。「どうしようもない」というモットーにもとづく古い偏見が説得力をもつことになる。そのつど他方の側がこの偏見を印象深く確証しているように思われるからである。

 両国の世論が同じように非妥協的な姿勢を示している一方で、両政府の態度はことなった様相を示しているようだ。日本はその領土拡大を1945年に流血をともなう敗北でもってあがなった歴史をもつ。それに対応して日本政府はつとめて平静たろうとしている。それは選挙戦が開始する時期に当たってかならずしも容易なことではないのであるが。これに対して中国は19、20世紀において列強によって多くの損害をこうむらなければならなかった歴史をもつ。しかしこのことは中国を外交政策の分野においてかつて他の諸国がとった方策を、いかにその方策が信用を落としたとはいえ、そうした方策を断念させることにはならなかった。自国の影響範囲の拡張は、列強の政策としては「古典的」なものである。そのうえ中国政府は世界中からほとんど毎日のように、中国こそは21世紀の単独の成功者だとささやかれている。だから、成功者としての信念が北京でしだいしだいに根を張っていたとしても不思議ではない。中国がその「古典的な」政治手法でやり過ぎたとして、そしてこのことは残念ながらあり得ない話ではないのだが、そのやり過ぎは実際にはとっくの昔に克服されたと信じられている時代への逆行を意味するだろう。

 いまほど政治的理性が問われているときはかつてなかった。中国指導部が政治的理性を使いこなそうと思えばできることは台湾の場合が示している。そこでは北京にとっての「心情にかかわる事柄」が問題になっているとされている。しかし台湾の人々が合併に対するいかなる憧れをも有していないということを度外視しても、北京はいまのところ現状を受け入れている。

 だから東シナ海の島々をめぐる争いの場合は同じような具合になぜ行かないのかが問われることになる。中国の態度は、ここでは端的に膨張が問題なのだという疑惑を抱かせるようなものである。もちろん、中国における多くのデモ参加者が本当に怒っており、隣国日本に対して反感の気運を煽り立てる者こそが愛国者であると考えていることはその通りだろう。結局のところ責任は中国政府にある。政府は島々を争点化し、そうして住民に対してみずからをぎりぎりの状況に追い込んだのだ。

 そのかまびすしい態度表明で中国政府はルサンチマンを呼び起こし煽り立てている。北京で理性が勝利をおさめるならば、抑圧に手慣れた中国政府はかならずやさらなる抗議運動を首尾よく押さえ込むだろう。しかしこのことは、単独の党(=中国共産党)の威信のさらなる低下を帰結するだろう。内政においては中国政府は、それに付け加わるすべてのものとともに汚職まみれであることで際立っている。そしていま、指導部の内外のナショナリストたちが論議しているところによれば、中国の指導部は傲慢な外国に対する国家の「名誉」さえ守ることが出来ないだろうということになる。このような考え方が首尾一貫たどられるならば、中国の共産党員たちはさらなる問題を抱え込むことだろう。ともあれ、切羽詰まった権威主義的指導者ほどに危険なものはあまりないというのは周知のことがらである。

 いま性急に戦争の危険性を思い描くべきではないだろう。しかし中国の指導部を窮地から救うことは努力してみる価値がある。アメリカ合衆国は日本を同盟国として理解し遇しているという意味では中立とは言えないが、一定の役割を果たすことができるだろう。その他の諸国、たとえば東南アジアの指導的勢力であるインドネシアなども中国と対話を交わすよう努力できるし、またそうすべきである。いずれにしても、東シナ海南シナ海における島々をめぐる紛争を中国がそのつど当事国同士で「解決」しようとするままに任せることは許されない。

 おそらくどんな道筋をとっても、この紛争は短時日では解決不可能であるという認識を無視することはできないだろう。したがって紛争の当事者たちが、ここには様々な見解の対立があり、残念ながら現在のところ一致することはできないでいるということを納得するならば、それだけでも大きな進歩であることになろう。しかし偉大なる中国にこの大きなことがらが果たせないであろうか? それを果たすならそれは、100年前に大英帝国やその他の諸国が為した以上のことを果たしたことになる。そうなれば、中国に対する批判もより少なくなることだろう。