ギュンター・グラス問題について亡命ユダヤ人の歴史家フリッツ・スターン氏が語る(フランクフルター・アルゲマイネ紙のインタビューから)

グラス問題についてフリッツ・スターン語る

 

重苦しい帰結をともなう挑発

 

2012年4月13日

批判の必要性は告発のこのような形式を正当化しない。ギュンター・グラス、彼の詩に関する論争、イスラエルに対する建設的批判についての歴史家フリッツ・スターンとの対話

 

「スターンさん、ギュンター・グラスの詩を読んでのあなたの最初の反応はどのようなものでしたか?」

最初の反応は悲しみでしたーそして残念に思う気持ちです。なぜなら、グラスはこのことで自分自身を傷つけていることに私はすぐに気がついたからです。この詩は実際一種のおそるべき自己毀損です。彼が事態を損なったことにも当然ながらすぐに私は思い至りました。

 

ギュンター・グラスを個人的にご存知ですか?」

彼のことはよく知っています、何十年も前からです。ベルリンのニート通りの彼の家で過ごした晩のことは忘れません、1966年か67年でした。私は彼の『ブリキの太鼓』に非常に感銘を受けていて、それに彼の政治的なアンガージュマンも評価していました。それから私たちは手紙を交わし合うこともしました。私は半年間コロンビアに、私のニューヨークの大学に彼を招こうとしました。これは上手く行きませんでした、彼のほうに時間的な不都合があったためです。私もまたヴェトナム戦争の反対者でしたし、この戦争を自国にとって害をなすものと見なしていましたが、グラスの反アメリカニズムは奇異なものに、退屈なものに思われました。70年代の終わり、80年代の初めごろから私たちはほとんど会っていません。

 

「この詩はグラスについてのあなたのイメージに適合するものでしたか?」

しばらく時間をおいてようやくのことです。彼はすでに長い間道徳の唱道者をもって任じてきました。これに対して彼が武装SSの一員だったことは私にとっては意想外のことでした。このことがいま強調されていることは私にはアンフェアなことに思われます。ドイツにおける論争全体がそうなっています。

 

「この論争のどこがあなたの気にさわるのですか?」

過度に個人攻撃に偏していますし、それにくりかえし武装SSの強調です。悪いのは未成年時代に彼が武装SSの一員だったことではありません。そうではなくグラスがそのことを長年のあいだ黙っていたことです。しかしいまでは私は、グラスはずっと黙り通していたらよかったのに、と言わなければなりません。彼は沈黙の効用をよく心得ています。ニーチェの「洗練された沈黙」という言葉が思い出されます。グラスはみずから洗練された沈黙を用立てていました。彼は長年のあいだ武装SSのことは沈黙していて、同時にドイツの公衆を叱りつけていたのです、「諸君はじゅうぶん自身の事柄に取り組んでいない、自身の過去をじゅうぶんに意識していない」というようにです。この叱り言葉は実際彼自身に当てはまります。

 

「そしていまでは彼は自分が呼び起こした幽霊をふり払うことができないというわけですね。」

彼がこのような論争の形式についてみずから大きな責任を有していることは明らかです。しかし彼を反ユダヤ主義者と言って非難することは気に入りません。『ブリキの太鼓』の中におもちゃ屋を商っているズィギスムント・マルクス氏なるユダヤ人が出てきます、私の記憶が間違っていなければ、彼は自殺するのです。それはたいそう見事に、感情を込めて書かれていて、あの時代の他の物語には見られないほど感動的でした。こんなのを反ユダヤ主義者が書けるはずがありません。

 

「残念ながら、芸術上の共感能力が作家自身をかならずしもいつでも憎悪の感情に抵抗せしめるわけではありません。」

そうかも知れません。しかし、イスラエルを批判する者はそのことゆえに反ユダヤ主義者だと考えることは危険なナンセンスです。「ニューヨーカー紙」の編集長デイヴィット・レミニックは最近イスラエルに関する重要な記事を発表し、その記事を今週「ツァイト紙」が掲載しています。イスラエルの政治文化が問題になっています。ひとりのユダヤ人によって書かれた、それも私たちがアメリカに有している最も重要な新聞に書かれた記事です。それは、私も分け持っている大きな憂慮です。なぜイスラエルに暮らしているのではない私たちが、過去を傷もつドイツ人さえもが、このような事態を正確に語る権利を持たないのでしょうか、多くの立派なイスラエル人をふかく動揺させるのと同じ憂慮に駆り立てられて?

 

「しかしドイツ人としてイスラエルの政策を批判することはじゅうぶんに可能です、適切な調子でおこなわれる限りで。その限りで、私はグラスがタブーを破ったとは思いません。彼がこの詩を書いた動機は何だと思いますか? ほんとうの憂慮でしょうか、それとも単なる論争好きからでしょうか?」

この詩は若干の正しい発言ないし見解を含んでいますが、多くは誤りです。それは一種の混合体で、きわめて遺憾なものと言わざるを得ません。同様の警告を発している人は大勢います。だからいかなる事情にあっても、反ユダヤ主義的だとか、あるいはイスラエルに対して無関心であると解釈することは出来ず、憂慮に発したものであり得るのです。しかしこの詩には多くの誤りがあります。それに自分は核兵器について幾ばくかの理解を有しているという彼の傲慢は人を唖然とさせるものです。

 

「そうなるとグラスの目的は建設的な批判を行使することではなくて、純粋な挑発ということになりますね?」

まったくそうです。あなたは正しい言葉を選びました。これは挑発です。情状酌量の余地であるとか素人ゆえのナイーヴをグラスに帰そうとは思いません。彼は自分の発言の射程距離を自覚していたのに違いありません。さもなければこの詩を同時に国際的に発表しようという気は起こさなかったでしょう。だからこれは意図的な挑発です。このことで彼は何かを解き放ちました。少なくともドイツの内部で、恐るべきものを。人々がこのような挑発を皮肉な笑いを浮かべて「無視しろ」とつぶやいて片付けていることは残念なことです。このテーマに関してはあり得ないことです。しかしおそらくこうした方向に調子を与えているのです。

 

「どういう意味ですか?」

グラスの場合、不幸な伝統への連続性があります。ふつうの人以上のことを認識する、崇高な警告者にして予言者としての詩人という伝統です。これは相当にドイツ的ではありませんか? 批判しなければならないのは、彼がことにおよんだその仕方です。「抹殺」というような歴史的に負荷のある概念の使用していること、イスラエルとイランを同列視していること、それに彼がさらに「西洋の偽善」を云々している場合、この偽善はすでに彼が長いこと批判してきたものですが、結局のところ、自分自身については真実を言わないでいて、道徳の権威たろうと彼が要求することのうちにはこうした一抹の偽善があるのです。こうしたすべてを私は重苦しく悲しいものに、ふざけているような印象を与えるものに感じます。というのも、すでに言ったように、イスラエルの内的状況について、それと結び付いてイスラエルの外交政策について憂慮に満ちた問いが生まれる時節であるからです。このような事態にグラスは大きな損害を与えました。もう一度強調しますが、私はとりわけ悲しいのです、グラスは卑しい馬鹿げた事柄を別の側から呼び起こすことに成功したのです。

 

「イスラエルでの反応をどう評価しますか?」

繰り返しますが、これは意図的な挑発のようなものです。これに対する応答、とりわけイスラエルの公式な応答は拙劣なものです。イスラエルの内務大臣がグラスを「好ましからぬ人物」と宣言し、入国禁止を布告したことは賢明とは言えないやり口です。グラスにはよりましな情報を与えられるべきだ、とりわけ彼がイスラエルの友人であると申し立てている場合には。そうイスラエル人は言うべきだったのです。「ハーレツ紙」がイスラエル政府の応答をヒステリックだと書き、同時にこの詩を非難したことは正当なことです。グラスはそうした反応のうちに自己の真価が認められていると感じることも出来たのです。

 

「イスラエルと「分ち難く結び付けられている」と自分は感じていると、グラスは言っています。」

どうぞご勝手に。しかし彼の気に入るようにするには、「あなたはたいそう重要人物なので、私たちはあなたに入国を禁じたのです。」と言ってやらなければならないでしょう。これは一種のお墨付きを得た傲慢です。馬鹿げていて危険です。

 

「「そのような友人を持つ者はもはや敵を必要としない」という言葉がここにもおそらく当てはまるでしょう。私があなたの言うことを正しく理解しているならば、いま必要なのは、無意味な挑発ではなくて、イスラエルの現在の政策に対する建設的な批判だというわけですね。」

まさにそのとおりです。例えばレミニックがしているような、広い意味でのイスラエルの政策を批判することは、私の見解では、連帯の行為であり、勇気ある行為でもある。ところでアメリカで私が観察するところでは、現在のイスラエル政府すなわちイスラエルの右派勢力と、しばしばファナティックに宗教的になるアメリカの右派勢力との連携は、イスラエルにとって危険であるし、またアメリカの内政・外交上の政策の脅威でもあります。反対意見もまた存在していることを付け加えなければなりません。レムニックのような個人レベルの声ばかりではなく、徹頭徹尾民主的なイスラエルの味方であり、民主的なもの・平和的なものを支持しようとしているJストリートのような組織もあります。彼らはAipac(アメリカ・イスラエル公事委員会)と対立関係にあります。Aipacはアメリカではずっと強力な親イスラエルと称している組織ですが、残念ながら不適切に重要な内政上の役割をアメリカで果たしています。それはネタニヤフと彼の支持者との特別な連携です。ジョー・リーバーマンのようなゾッとさせる人物やアメリカの極右については言うまでもないでしょう。そこに私は、すでに言ったように、真の危険を、アメリカのユダヤ人の生活にとって持続的な危険を見ています。イスラエルにとって偽わりの友人もまた存在しているのです。

 

「現在のイスラエルの指導部についてどう見ていますか?」

彼らは過激で、攻撃的で、不器用です、すべては内的な弱さに発しています。何人ものアメリカ大統領を侮辱している。有意義でしょうか? ネタニヤフのアメリカの内政への干渉は不相応であり危険です。いつかしっぺ返しを食うでしょう。私にはとても金持ちの共和党員の知り合いがあります。彼が2008年の選挙のとき私の評価を質問してきました。彼はこれまでずっと共和党を支持してきたのですが、マケインとオバマとでどちらを選ぶか決定できないでいたのです。とりわけ自分にとって重要なのはイスラエルだと彼は言いました。そのとき不意に私の口をついて出たのは、「歴史的な比較をお許し願いたい。1917年に中央ヨーロッパのユダヤ人の中にはボリシェヴィキの革命を解放、自由化、同権へのチャンスとして歓迎するものがいた。それは私には理解できる。結末はユダヤ人にとって決して良いものではなかったが。」という言葉だった。そのことで私が言わんとしたのはー私はその人を説得さえしたのですがーイスラエルの右派とアメリカの右派との現在の連携はせいぜいが幻影に過ぎない、結局は悪しき過激な幻滅に終わることになるかも知れないということでした。もう一度強調しますが、私はAipacの介入と役割を危険なものと見ていますし、深い意味で反イスラエル的だと思っています。イスラエルそのものに関して言えば、民主主義のことを心配し、その心配をおおやけに発言する重要な声が存在していることを私は承知しています。

 

「作家のデイヴィト・グロスマンは最近そのような意味で発言しました。」

そのとおりです。グラスがそのことに言及しなかったことは私にはとりわけ残念です。周知のように彼が介入を嫌っていなかったら、彼はイスラエルにおける最も深く最も内的な論争に介入することも出来たでしょう。彼がその詩で道徳的要求を掲げていたとすれば、彼は少なくともイスラエルの野党勢力を承認することが出来たでしょう。しかしこのような忠節さは彼にはまったく欠けていました。

 

「敵対的な体制に囲まれているイスラエルの状況を思い浮かべてみて、あなたは政治的解決へのチャンスを見ているのですか?」

ギュンター・グラスとは違って、わたしは現在のイスラエルの対イラン戦略の問題についてものを言うことには慎重でいます。私はアメリカやドイツの専門家の懐疑的な意見に賛成です。たとえばヴォルフガング・イシンガーのような。彼らは専門的知識にもとづいてイランへの攻撃に警告を発しています。イスラエルとその社会の健康状態についてはおそらく私はよりよい判断が下せるでしょう。イスラエルではファナティックな宗教的要素がたいへんに増大しています。このような展開は現実に民主主義にとっての危険を示しています。それに駐留の延長は恐ろしいことですし、民主主義国家としてのイスラエルを非常に損なっています。いずれにしても頑迷さは可能な解決への前提条件ではありません。イスラエルの状況はひょっとすると極めて深刻です。それは実際、想像を超えたトラウマから生じています。ショアー(大虐殺)から単純な教訓を引き出すというように唆されなければいいのです。アルベルト・アインシュタインはドイツを大量虐殺の国と見ていたシオニストでしたが、シオニストはアラブ人と折り合いを付けなければならない、さもなければ彼らはあらためて残酷な運命をこうむることになるだろうと彼は言いました。人はいつも最悪の事態ばかり想定するということは出来ないものです。防御的でありつつ攻撃的であることは出来ません。別の側では武器を持って攻撃的であることを私は承知しています。私はイスラエルの不安を理解します。これ以上言いたくありません。

 

「イスラエルは、自身から外国での連帯を失わせしめる危険を冒しているのでしょうか?」

イスラエルは外国にいる非常に多くの善意の人々を逸しています。アメリカではAipacが企てているような内政上の介入という過激な手段によってそうしています。繰り返しますが、駐留やひどい取り扱いについては言うまでもありません。そのうえで私は付け加えますが、ショアーを道具化することは許されません。1963年の六日間戦争のときイスラエルに対する共感がどんなに大きいものだったか、1973年のヴィリー・ブラントがイスラエルを決定的に援助したときもそうでした、そのことを思い出してみたらいいのです。偉大な戦車隊司令官のイスラエル・タール将軍は私に言いました、第四次中東戦争の偉大な勝利の日に、すべてを私たちは返還しなければならないと自分は言ったと。そこでやり過ごされてしまったとは何てことでしょう! 私はニーチェの1871年の言葉を思い出します、「大なる勝利は大なる危険である。」ラビンはこのことを理解していたのだと私は思います。イスラエルの狂信主義者によるラビンの暗殺は象徴的にも事実的にも恐るべき破壊をもたらしました。当時私は、自分たちの故郷を失ったパレスティナ人もまたヒトラーの直接の犠牲者なのだと書きました。これを非常に悪くとる人もいました。しかし批判的イスラエル人の態度を共感を込めて考慮し、ないし援助することは私たちには許されているし、そうすべきなのです。

 

会話を交わしたのはフェリキタス・フォン・ローヴェンベルクでした。