マルセル・ライヒーラニツキがグラスを批判

フランクフルター・アルゲマイネ新聞 文芸欄

2012年4月7日

 文芸評論家マルセル・ライヒーラニツキは、ギュンター・グラスの論議を呼んでいる詩「言われねばならないこと」についてはじめて態度を明らかにし、このノーベル賞受賞者をきびしく批判した。「吐き気を催させるような詩だ」、政治的にも文学的にも無価値、とライヒーラニツキはフランクフルター・アルゲマイネ新聞日曜版に対して語った。彼によれば、グラスは「世界を転倒」させている。「イランがイスラエルを抹殺しようとしているのだ、これはイラン大統領がくりかえし明らかにしていることなのに、グラスは反対のことを詩に書いている。」

 ライヒーラニツキはホロコースト記念日の1月27日残存者として連邦議会で演説した。その彼が「このようなことを発表することは破廉恥なことです」と語った。「それ以上にこの詩は大いなるナンセンスです。イスラエルこそが世界平和に大いに関心をもっているのです。」この詩は「ユダヤ国家」に対する計画的な攻撃であるにとどまらず、全ユダヤ人に対する攻撃である。「パレスティナ人やアラブの人々がイスラエルに対して攻撃を仕掛けるのだとしたら、それは特別なことではありません。しかしギュンター・グラスのような人物がイスラエルを攻撃し、それもユダヤ人に対してこうもきびしい態度をとるというのは、当然ながら一つの事件です。」

 事態を明確にしようとしている風のこの詩は、実際にはささやき声で邪推をひろめている。「グラスは、何ごとかを隠そうとするとき、いつも態度が不明瞭になります。ドイツではイスラエルを批判することはタブーではない、とライヒーラニツキは強調する。グラスはこれをタブーだと申し立てることによって自分の詩の効果を高めようとしている。彼がこの詩を意図的に、ユダヤ教の最も重要な祭日である過ぎ越しの祭りの日に先立って発表したことも効果を狙ってのことだ。言われねばならないことを明確に語ろうというこの作家の主張はこの詩そのものに矛盾している。ギュンター・グラスは反ユダヤ主義者ではないが、住民の一部にある反ユダヤ主義的な傾向に対してことさら訴えかけている。だからこの詩は私を不安にもするとライヒーラニツキは語った。

フランク・シルマッハーのギュンター・グラス批判 ーグラスのイスラエル批判に関してー

フランクフルター・アルゲマイネ新聞 文芸欄

 

ひとつの解説

「グラスがわれわれに言いたいこと」

2012年4月4日 ギュンター・グラスの詩「言われねばならないこと」は復讐のドキュメントである。ひとつの解釈。

フランク・シルマッハー

 

ギュンター・グラスの詩は、最初は目でもって、次にはドライバーを手にして読むことをお勧めしたい。それはイケアの書棚に似ている。図面で見るとすべてはまったく簡単に見える。しかし出来上がった作品をひとたび分解してみると、簡単にはもはや組み立てることはできなくなる。

詩というものは当然ながら書棚ではない。そこに潜んでいるものは外からは見えない。詩が詩であるのは、それが何が問題であるかを決して言わないからだ。だからこそ幾世代にもわたってドイツ語の授業で生徒たちは、詩人がわれわれに何を隠しているかという問いに答えなければならないのである。

 

詩としての論説記事

論説記事とはまったく違う。論説記事は一種の記事であって、それは何が問題であるかをつねに言う。だからこそ幾世代にもわたる新聞読者は毎朝、記事が言うことを正しいと思うか誤っていると思うかを互いに争うのである。

ある作家が詩にして論説記事でもあるものを組み立てたのだとしたら、読者はその詩人が隠していることを正しいと思うか誤っていると思うかを探らねばならないのは理の当然である。

ギュンター・グラスと彼の詩「言われねばならないこと」の場合がまさにそうだ。このノーベル賞受賞者が今日9連の詩節を世界に知らしめた(しかし「ニューヨークタイムズ」はこれを掲載しなかったが)。一見したところでは、この詩は理解しやすく無害に組み立てられたもののように見える。「言われねばならないこと」は第7節にある。すなわち「核兵器保有国イスラエル」が世界平和を脅かしているというのだ。イランとイスラエル、「図上演習」「核の潜在力」「反ユダヤ主義」「潜水艦」の調達、「西洋の偽善」「世界平和」「イランの核施設」「恒久的制御」「国際裁判所」が話題となっているが、これはすべて政治的な論説記事の部品である。

 

詩の裏に潜んだ詩

この詩については論説記事と同じように議論することが出来る。そうすれば、イスラエルという国家が世界平和を脅かしているというテーゼを別にすれば、グラスはいかなる個別的見解も述べていないことが確かめられるだろう。デイヴィット・グロスマンはこの新聞紙上でまったく同じような内容の発言をしている。イスラエルの新聞「ハーレツ」はつい数日前に、イスラエルの予防攻撃を戒めるヒラリー・クリントンの発言をくわしく引用したばかりである。一見したところでは、グラスの詩もそうした事例のひとつに過ぎないもののように思われる。言わばノーベル賞受賞者の公式発表である。ただ言語的には今日通用している種類の文学とは何光年も隔たっているが。

いまドライバーを手にして探りを入れてみると、第二番目の詩が見つかる。すなわち西ドイツが戦後とってきた行き方からのたいそう慌ただしい離反である。グラスはひとつの論説記事を書いた。その記事が叙情詩の手法を利用しているのは、イスラエルについてイスラエルの犠牲者として話すことが出来るようにするためだ。ドイツの歴史は彼が率直に話そうとするのをこれまで妨げてきた。しかしいまや彼は語らねばならない。

 

なぜわたしは黙っているのか、あまりにも

長く黙っているのか、

公然たる事実であり、図上演習が

おこなわれ、その隅っこでは

生き延びた者として

わたしたちはいずれにしても脚注に過ぎない。

 

この言葉の巨匠が暗示的に何を呼びかけているかを明らかにせねばならない。語っているのは潜在的な「生き延びた者」であり、それはイスラエルを阻止することがなければ、

「いずれにしても脚注に過ぎ」なくなってしまうというのだ。意味上のコンテクストでは彼は「生き延びた者」という言葉を略取し、そのことで第三帝国の生き延びた被迫害者の道徳的権威を奪っている。さらに彼はほとんど文字通り2008年9月9日のポグロムの夜を記念した催しをほのめかしている。その催しでシャルロッテ・クノーブロッホは。ホロコーストの犠牲者が「歴史の脚注」となることがあってはならないと警告していたのである。このような危惧に応じてアンゲラ・メルケルはこの同じ催しで「イスラエルの安全を守ることはドイツの国家理性の一部である」という国法上も重要である有名な命題でもって答えた。この命題にグラスの詩は反対しようというのである。

 

叙情詩によるレッテル詐欺

しかしそれだけにはとどまらない。詩全体をもうひとつの二次的な文脈がつらぬいている。叙情詩によるレッテル詐欺であって、いくつかの概念を交換すれば、1934年に未来への明察をもって抵抗をつらぬいた闘士のテクスト(周知のように一つ例外がある以外には書かれたことはない)の詐欺的形態のように機能するのだ。グラスは言う、

 

1.わたしはかくも長く沈黙してきた、しかし今やわたしは沈黙しない。

2.わたしが沈黙してきたのは、「強制」によってであって、罰への恐れからである(「罰を垣間見せる強制」)。

3.わたしは「反ユダヤ主義」と告発されることになるだろう(意味論的に、反逆罪という言葉を置き換えている)。

4.しかし今やわたしは語る、なぜなら一つの偉大な民族を消滅させることが計画されているからだ。

 

ここで問題となっているのはもはやイスラエルとイランではない。ここで問題となっているのは、結局のところ、役割交換をくわだてるチャンスをつかまえることなのだ。当然ながら彼はドイツの犯罪を「固有のもの」であり「比類ないもの」と言っている。しかし彼は、陳述のレベルでは否定していることを連想のレベルでは暗示しているのだ。グラスが呼びかけている言葉の圏域は、生き延びた者から一つの民族の消滅にいたるまで、ホロコーストであることは明瞭である。けれどもグラスは、自分の舌を解き放つためにそれ以上のことを提示しなければならない。それはひょっとすると彼の最も力強い作品である。彼は、計画された民族殺戮の未来の生き延びた者として語るばかりではなく、彼が「真理」を発言することを妨げているもののことをも語ろうとするのだ。

 

なぜなら、決して消せない汚辱が

まとわりついた私の出自が、

この事実を、明々白々たる事実として

私が恩義を負っており負いつづけるであろう

イスラエルという国に期待することを

禁じていると私は思ったからだ。

 

彼に偽装を強いているものは行動や思想ではなくて、遺伝的な出自だというのだ。「汚辱としての出自」と言っておいて、彼は「私の世代」「私の国」「私たちの歴史」「私の歴史」とは言わない。彼が利用するのは系図的な概念である「出自」である。理由は単純である。今では彼もまたこの烙印を、人種差別主義の真の犠牲者と共有しているからだ。なるほど自分は駆り立てられ迫害されたとは彼は言わない。しかし彼が支払ったと思い込んでいる代償は文学の世界では死刑判決のようなものだ。すなわち出自が彼に嘘を強いているのだ。

 

ルサンチマンのこしらえ物

この詩をここまで分解してしまうと、もはやふたたび組み立てることはできなくなる。いいや、これはイスラエルやイランや平和についての詩ではない。イランのホロコースト否定者がある詩行で「ほら吹き」の一語で片付けられ、同時に、イスラエルを世界平和の脅威と断ずるためにのみ表立っては書かれたということになれば、どうしてこの詩がイスラエルやイランについての詩ということになりえよう。

この詩はルサンチマンのこしらえ物である。ニーチェルサンチマンについて語ったように、道徳的に生涯にわたって傷つけられたと感じている世代の「想像上の復讐」のドキュメントである。ドイツ人としてはたしてイスラエルを批判することが許されるかという論争が巻き起こることを彼は期待しているのだ。しかし、この85歳の男が自分の心の平和を自身の伝記でもって作り出すだけのことのために、全世界をイスラエルの犠牲者と断定することが正当化されうるかどうか、このことをめぐって論争が巻き起こるべきだろう。

 

 

ヨアヒム・ガウク大統領就任演説

ヨアヒム・ガウク大統領就任演説

 

 

ドイツ連邦議会議長、親愛なる議員諸氏、親愛なる内外の市民同胞のみなさん、さしあたって議長、この会議のみごとなご指導と、わが国において、政治が喜びをもたらし得るという輝かしい事例について心より感謝申し上げます。議長、あなたは、わたしと確実にまた連邦大統領ヴルフとに深く持続的な反響を残すであろう言葉を見つけて下さいました。あなたに感謝申し上げます。

親愛なる市民同胞のみなさん、実際、いまこの国はどんなふうに見えるのでしょうか、わたしたちの子供や孫がいつか自分たちの国と呼びかけるであろうこの国は? この国では孤立化がさらに進行するのでしょうか? 富める者と貧しい者との格差はより広がるのでしょうか? グローバル化はわたしたちを呑み込むのでしょうか? 人々は社会の片隅に追いやられ自分のことを敗者と感じることになるのでしょうか? 民族的ないし宗教的マイノリティは、望むと望まぬとにかかわらず孤立して、対抗的な文化を形づくることになるのでしょうか? ヨーロッパの理念は持続できるでしょうか? 近東では新たな戦争の可能性が高まるのでしょうか?

ドイツや世界のその他の場所で、犯罪的なファナティズムがさらに平和な人々を脅かし、震え上がらせ、殺害するということが続くのでしょうか? 毎日、新聞を開くごとにおびただしい量の新たな不安、心配がもたらされます。人々の中には逃げ道を模索したり、未来を悲観したり、現在を恐怖する人々もいます。多くの人々は自問します、これがほんとうに生活なのかと、これが自由なのかと。わたしの生涯のテーマであります自由は、その多くの人々にとって約束ではなく、希望ではなく、たんに不安にすぎないのあります。

わたしにはこうした反応は理解できる。けれどもわたしは彼らの不安を助長しようとは思いません。わたしは長い生涯で学んだのです、不安というものはわたしたちの勇気をくじき、自信を失わせるものです。しばしばそれは決定的であって、わたしたちは勇気と自信をすっかり失ってしまい、臆病を徳目と見なし、政治的な場面において逃避することを堅実な態度と見なしてしまうことになるのです。そうしたことを望まないとすれば、その代わりにわたしは、わたしとわたしたちを教えみちびき勇気づけるための力と力の源泉として、わたしの記憶を用立ててみたいと思います。

わたしが引き合いに出そうという記憶とは、国家社会主義の独裁のあらゆる犯罪行為の後、おぞましい戦争の後、わが国において成し遂げられた成功のことであります。西ドイツではこの最初の成功は経済の奇跡の名で呼ばれました。ドイツはふたたび立ち上がりました。家郷を負われた人々、家を爆弾で破壊された人々も住まいを得ました。窮乏生活の年月のあとで平均的な市民はしだいに豊かさの恩恵を受けるようになりました。もちろん、誰もが同程度というわけにはいかなかったですが。けれどもわたしにとっては、自動車、冷蔵庫といった新たな繁栄の新たな輝きはあの時代のすばらしいものではありませんでした。わたしはわたしの国を、とりわけ民主主義の奇跡の国として受けとめていました。

戦後、連合国が恐れていたのとは違って、戦後のドイツにおいて復讐の情念は多数派を形成することはできませんでした。すでに国家社会主義的な思想の余韻は存在していましたが、それは現実を形成する力にはなりませんでした。その代わりに成立したのは堅実な民主主義的秩序でありました。西ドイツは西側の自由世界の一部となりました。この時代の自国史との対決はまだ不足しています。自らの罪の抑圧、ナチ体制の犠牲者に対する同情の欠落が同時の時代精神を特徴づけています。この状況に持続的な変化をもたらしたのは、ようやく68年世代でありました。

わたしたちの両親の世代が国の内でも外でもわたしたちの隣人に対する傲慢、殺害、戦争という犯罪に手を染めていたとすれば、当時、わたしたちの世代はドイツの歴史の深くて暗い穴と対決していました。そのことはこの68年世代の功績であります。自分たちのことを深く、従来とは別様に思い出すことができるということが苦労して獲得された祝福でありました。68年世代の反抗と結びついている過ちの数々にもかかわらず、彼らは歴史的な罪を集団的な自覚へともたらしたのです。

事実に基づき価値に定位して過去を仕上げ直すこのような活動は、1989年以後の東ドイツにいるわたしたちにとって進むべき方向を指示したにとどまりません。全体主義ないしは専制主義のくびきを振り払いながらも、過去の重荷とどのように関わったらよいのか判らないでいた多くの人々にとって、68年世代の歴史との対決は模範と見なされました。西ドイツの人々のヨーロッパに対するこの決然たるイエスは、ドイツの戦後史の広範で貴重な財産であって、この獲得された財産はわたしたちにとって重要なものであり続けるべきものです。

コンラート・アデナウアー、いまだにナショナリズムの強い刻印を受けそれによって滅ぼされた国の首相は、未来を志向するヨーロッパ統合の創設者のひとりとなりました。感謝と喜びをもって。後の時代、1989年にもこの感謝と喜びの情がわたしたちの記憶の財産の身近な宝物になりました。だからこそ東ドイツの人々は平和な革命に、平和な自由の革命に移行することが可能だったのです。わたしたちは国民となりました。わたしたちはひとつの国民になりました。壁が崩壊するに先立って、多くの権利が獲得されなければならなかったことを忘れてはなりません。人々が立ち上がり、自分たちは国民であると言えるようになってはじめて、人々は自分たちはひとつの国民であると言えるようになり、そして壁が崩壊したのです。

当時、一滴の血も流さずに、冷戦時代の長年持続した東西ドイツの対立は終結し、戦争の危険は克服され排除されました。わたしがこう言ったとしても、わたしは影の側面、罪と断念のことばかり言い立てたいというのではありません。生きられた責任、平和でいられる能力、わたしたち国民の連帯ということを包括する自由という政治文化の新たな創設という側面、わたしたちの歴史のそうした側面を忘れることは許されません。

これは、記憶の文化におけるパラダイム・チェンジということではありません。これはパラダイムの補足なのです。過去においていろいろな仕方で時代の諸要求を受け取り、それを全力を尽くして、理想どおりではないにしても、解決しえたという成功体験はわたしたちを勇気づけてくれますし、このことは未来においてもわたしたちにとって大きな励ましであります。わたしたちの子供たちや孫たちがわたしたちの国と呼びかけるこの国、この国はどのように見えているべきなのでしょう。それがわたしたちの国であってしかるべきなのは、わたしたちの国が社会的正義、参加、上昇の機会を結びつけているからこそなのです。

そこへ至る道は、おせっかいを焼く家父長的な政治ではなく、配慮し権利を保障する社会国家のそれであります。機会の平等がないゆえに子供たちが自分の才能を発展させることができないでいるような状況をわたしたちは許容すべきではありません。業績は報いられない、必死に努力したところで上昇は自分たちには拒まれていると人々が感じるような状況をわたしたちは許容すべきではありません。貧しいから、老いているから、障害があるからという理由で自分は自分たちの社会の一部ではないと人々が感じるような状況をわたしたちは許容すべきではありません。

自由は正義の不可欠の条件です。正義とは何か、社会正義とは何を意味するか、それに近づくためにわたしたちは何をすべきかという問題は家父長的に命令されるものではなく、徹底的な民主主義的な討論によってのみ明らかになるものなのです。逆から言えば、正義をめぐって努力することは自由を保持するために不可欠なことです。社会における公正な秩序への参加表明を自分たちの国家は真剣に考えていないという印象を持つ人々が増えるとすれば、民主主義への信頼は落ち込んでゆくことになります。

だからわたしたちの国は、正義の条件としての自由と、自由と自己実現を体験できるものとする条件としての正義との両方を結びつける国でなければなりません。そうすれば「わたしたちの国」でここで生活するすべての人々がここを我が家のように居心地よくしていられるのです。ともあれわたしたちはひとつの国家のうちに暮らしています。この国家においてはまったく自明のドイツ語を話すキリスト教の伝統とならんでイスラム教のような宗教もおこなわれており、別の言語、別の伝統・文化も存在しています。この国家においては国家というものはその市民の国民的帰属性によってはますます定義できなくなりつつあって、政治的・倫理的な価値共同体への帰属性によって定義されるようになっています。この国家においては長い時間をかけて成立した運命共同体が独占的に社会を規定するのではなくて、異なる者たちが共通のものに向けて努力することがますます社会を規定することになりつつあります。このヨーロッパのわたしたちの国家においては。

そしてわたしたちは、自由、平和、連帯のうちに一緒に生活しようと意欲することで、このヨーロッパのわたしたちの国家において共通なものを見出しております。しかし、無知や誤って理解された正しさゆえに現実の諸問題に目を閉ざすとしたら、わたしたちは間違っています。このことは連邦大統領ヨハネス・ラウが12年前のベルリンにおける演説において印象深く明確に指摘しています。共生という課題においてわたしたちはとりわけ不安、ルサンチマン、否定的な投影というものによって誘導されてはならないのであります。

人を歓待する開かれた社会については連邦大統領クリスチャン・ヴルフが在職中に強調したところでした。連邦大統領ヴルフ、あなたのこの関心は絶えずわたしの心にかかることでもあります。みなさん、わたしたちの憲法は、出身地、宗教、話す言葉の如何に関わらず、すべての人間に対して平等な尊厳を認めております。憲法がそうするのは、統合の成功に対する報酬としてではありません。統合を拒んだからといって、そのことへのペナルティとして尊厳を認めなくなるというものではありません。わたしたちの憲法ならびにわたしたちが人間であることは、わたしたちに、他者のうちに兄弟のように自分自身を見ること、わたしたち同様に参加のための能力があり権利もあることを認めることを負託しています。

哲学者ハンスーゲオルグ・ガダマーの見解によれば、歴史の激動の後においてヨーロッパにおいてとりわけわたしたちに期待されることは、きわめて狭い空間において共生することを「真に学ぶこと」であります。引用すれば「他者とともに、他者の他者として生活すること」です。そこにガダマーはヨーロッパの倫理的・政治的課題を見ていました。ヨーロッパに対してこのようにイエスを言うことは、現在なお課題であり続けています。まさに危機の時代において特徴をなすものは、国民国家のレベルに逃げ込もうとする傾向です。しかしヨーロッパの共生は、連帯という空気がなくては形成されえません。したがって危機にあるからこそ、わたしたちはより以上にヨーロッパたろうと意欲すべきなのです。

実際、ドイツ人の多数がこのようなヨーロッパの構想にふたたび未来を託そうとしていることをわたしは喜んでいます。ヨーロッパはわたしの世代にとって約束でありました。それは、諸々の西洋的伝統、古代の遺産、共通の法秩序、キリスト教的ユダヤ教的遺産に基づいていました。わたしの孫たちにとってヨーロッパはとっくの昔にアクチュアルな生活の現実であります、国境を越える自由と開かれた社会のチャンスと憂慮をもって。この生活の現実がすばらしい獲得物であるのは、何もわたしの孫たちにとってばかりではありません。

わたしたちの子供や孫たちが「わたしたちの国」と呼びかけるこの国はどんなふうに見えることが可能でしょうか? わが国にとってのみならず、ヨーロッパにおいてまたそれ以外でも代議制民主主義は、集団の利害と公共の福利とを調整する唯一適正なシステムであります。このシステムの特質はその完全性にではなく、それがものごとを学習することのできるシステムであることにあります。しかし政党やその他の民主主義的な制度以外にわたしたちの民主主義を支持する二番めのものとして活動的な市民社会があります。市民運動、アドホック運動、またデジタルなネット共同体の一部もそのアンガージュマン、その抗議によってさえ議会制民主主義の欠陥を補っています。

そして、ヴァイマールの民主主義とは異なり、わたしたちの国は、狂信者、テロリスト、殺人者の空疎な思想に抵抗する民主主義者を十分に活用できる。様々な政治的ないし宗教的根拠に基づいて彼ら民主主義者たちは、自分たちから民主主義を取り上げることはできないと証言してくれます。わたしたちはこの国の味方です。わたしたちがこの国の味方であるのは、この国が完全であるからではなく、これがわたしたちの体験した最善のものであるからです。そして民主主義の軽蔑者たる極右勢力にわたしはとくにはっきりと言いたい、諸君の憎悪こそがわたしたちの拍車であると。わたしたちはわたしたちの国を見捨てない。わたしたちは諸君にわたしたちの不安すら与えようとは思わない。諸君は過去となり、わたしたちの民主主義は生き延びるだろう。

その他の政治的方向の過激主義者も同様にわたしたちの決然たる決意に出くわすことになるだろう。そして宗教の隠れ蓑のもとにファナティズムやテロをこの国に持ち込もうとするやからを、ヨーロッパの啓蒙主義より反動的に後退しようとする者たちをわたしたちは阻止する。彼らにわたしたちは言う、諸国民は自由の方向に進んでいる。諸君はおそらくこの進み行きの妨げになるだろう。しかし結局のところ諸君はこの進み行きを止めることはできないと。

しかし多くの市民が民主主義的な諸制度に距離をとっていることはわたしを不安にします。低い投票率、政治的アンガージュマンや政治家の仕事の過小評価、ときに軽蔑です。わたしたちはしばしば私生活においても耳にします、地域の団体の会議に出たからといって何になると言うのだ? 何ですって、あなたは組合活動に積極的なんだって? こうしたことをかっこわるいと見なす人もいます。そこでわたしはしばしば自問します、そうした活動がなかったとしたら一体わたしたちの社会はどこにあることになるだろうと。治める者と治められる者との間の隔たりから得られるものは何もないのです。

治める者と治められる者との両方にわたしからお願いがあります。そうして政治から隔たってゆくことに甘んじないでください。政治的に行動する人々にはまずもって次のことが当てはまります、はっきりと明瞭に話して下さい、そうすれば失われた信頼は取り戻せます。治められる側のわたしたちの市民のみなさんには次のことを要求します、消費者になり切らないで下さい、あなた方は市民であります。つまり形成者です。ともに形成する者です。参加が可能であるのに苦もなくそれを放棄する人は人間存在のもっとも美しい、もっとも偉大な可能性を捨ててしまっているのです、すなわち責任を生きることであります。最後に、みなさん全員にひとつ贈り物をお願いすることをお許しください、すなわち信頼という贈り物です。わたしの人格に対する信頼をみなさんにお願いしたいというのは最後のことです。その前にわたしがみなさんにお願いしたいのは、わたしたちの国で責任を担う人々に対する信頼です。同様にわたしは責任ある人たちには、この再統一され成長した国のすべての住民に対する信頼をお願いしたいと思います。

さらにその前にわたしはみなさん全員にお願いしたい、自分自身を信頼すること、勇気を持っていつもくりかえしこのことから始めることをです。ガンディの言葉によれば、自らを信頼する者だけが進歩し成功することができる。このことは人にも国にも当てはまるとガンディは言っています。わたしたちが子供や孫たちにお金や財産を遺産として残すことが出来るかどうか、それはわたしたちには判りません。しかし不安をもって服従するのではなく、勇気を選択することは可能であり、そのことは夢であるにとどまりません。わたしたちはそれを生き、示したのです。神と人間とに感謝を捧げましょう。この勇気を選ぶという遺産なら彼らは期待してよいのです。